9月が終わるね。
また1つ年を取る。ま、年を取るのは来月なんだけれども。
なんかこう、生まれた日が近づくと死について考えてしまう。実はこの日記を書くにあたり1冊読み終えておきたい本があった。
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その日のまえに (文春文庫) (2008/09/03) 重松 清 |
内容は死に纏わる短編小説。2作目の途中に取り掛かったところで寝落ち。最近は長時間本を読めなくなった。なんだったか、あれ、年取ると聴こえなくなる音みたいなやつ。あれと一緒で頭に響く感性が確実に鈍っている。打たれることが少なくなるのはとても寂しい事だ。
かわりに昔のことばかり鮮明に思い出せるようになる。打たれた気持ちをつい先程の事の様に感じられる。私は多分早めの段階でアルツハイマーになると思う。
この短編の1作目、ひこうき雲というタイトルの小説の中に
うまく言葉にして伝えられないことは、だからこそずっと手つかずのまま、思い出話の中ですり減らされずに、記憶にくっきりと残っているものなのかもしれない。
とある。
私の場合、うまく言葉に出来ないというよりは言葉にすることでその記憶を確かなものにしてしまうのが怖い。こんだけ生きてりゃすりかえたくなる様な思い出の一つや二つぐらいある。自分の記憶を他人に丸投げしたくなる程度に。
この小説に出てくる幼くしてこの世を去る子供と長生きする大人。生と死。本来なら逆だ。いや違うな、自然の摂理から言うとどちらでもないただそこにあるもの。長く生きる人は生きるし早く死ぬ人は死ぬ。そこに人の感情が入るんだな。本来なら逆、と言うのも私の一意見、思いに過ぎない。
私には友人の死は辛うじてまだ無い。思い出せないだけかも知れない。だとしたらもうアルツハイマーは進行している。知り合いの死はある。わりと多い方かもしれない。一番記憶に残っているのは高校の時だったかな。クラスも違うしそこまで面識ある子じゃなかったけどお葬式には参列した。同じく参列する友人の家にみんなで遊びに行く予定だったからと言う理由で。今考えるとそんな理由で手を合わせられた方はたまったもんじゃないだろう。逆の立場だったら間違いなく棺おけ蹴り上げて『テメェちょっと待てやコラ』と襟首とっ捕まえて線香ケツにぶち込んでいただろう。お前が変わりに逝けや。とか何とか言って。
ま、それは冗談だけど人の死ってよっぽど身近じゃないとなんていうかそんなもんだなぁって。悲しいと思いたいのは自分の理性かもしれない。そんな時、自分は冷たい人間だ、なんて思うんだろう。くだらんね。もっと本能で感じたままに生きていいんじゃなかろうか。後ろめたさがなくなればもっとさっぱり生きられる。
どうでもよいけど今日の一曲。
Green Day – Wake Me Up When September Ends
私は実体験として残る記憶よりも音として残る記憶のほうが遥かに多い気がする。この曲もその中の一つ。音が紐付けされて記憶と重なる。またはその逆。
こんな事をだらだら書き続けていたら夜が明けてしまうね。寝よう。9月が終わったら誰か起こしてください。
いや、後5時間後には起きていないと遅刻になりますけどね。おやすみなさい。


