2017年が始まって早くも3ヶ月目に突入してる訳ですが、去年立てた計画は大幅に遅れ、当初の予定からはなんと3年経っているという。色々な事情はあるにせよ、いい加減ちょっとのんびりしすぎなのではって思う今日この頃です。で、最近、ちょっと始めてみた対策があって、今の所、順調にいっている。もう少し様子見てみようと思う。
ところで今月の初め、夕方のニュースで高齢者に人気のスキー場というのが紹介されていた。その特徴の一つにゲレンデで音楽を流さないっていうのがあって、音楽が必要ないって言われているような気がしてちょっと寂しい気持ちになったんだけど、その状況を少し想像してみた。
例えば滑走中の風を切る音や、リフトに乗っている時にロープの繋ぎ目になるガタンガタンという音、降っている雪の音。私に音そのものを楽しむ力があったら時には誰かが創作した音楽というものが必要無くなる時があるかもしれないな。というようなことを考えた。
私には、楽しかった記憶には大抵その時に聴いていた音楽の思い出がついてくる。そしてそれをとても大切な記憶として日常生活にも密接に関わっている。
また、3月の別の日、自転車でいつもの川沿いの道を走っていた時。ちょっと遠い地元の友達や慕っている先輩の事を思い出していた。彼女らの性格や行動を知っている私は、あぁ、彼女達がこっちに住んでいたら、週末のあのイベントや、あの場所、気軽に行けて、きっと毎日楽しいのになぁって考えた。
いや、私の思い出している2人は地元で楽しくない毎日を過ごしているわけでは決してない。むしろ充実している。
もうすぐ桜が咲く。
桜は地元でも少し遅れて咲く。窓から眺める実家の庭の桜の木もなかなか見事に咲いてくれる。
刺激というのは慣れるもので。
一時期、ライブハウスに足を運ぶことに惰性を感じていた時期があって、どこか上の空で演奏の途中からは帰りの時間を気にするほどになっていた。そのスランプは数年前のCDJでの10-FEETのタクマさんのMCであっさり抜け出したのだけれど。
私は、遠くの美しい景色や建造物を死ぬまでに沢山観たいと思っている。でも、最期に思い出すのは日常であって欲しいなと思う。そんな人生を送れたら最高だなと。
日々、めまぐるしく入ってくる情報や刺激に慣れて、近くのものに目を向ける、気付けることが最近少なくなっているなぁと感じているし、自分の中でいろんな価値観も変化していっている。何をしても満たされない、もっと新しいものを、もっと良いものをってなる前に、日々の中にあるものに思いを馳せ、感動できる心を忘れず、イベントのない日常を丁寧に過ごす中にこそ、特別な日をより楽しむための下地があるって事を忘れずに過ごしたいなぁと思います。
まぁなんていうか、毎日頑張らないとな、っていう自分を鼓舞する日記です。

